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つまり、大人の私も逆上がりができない

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さて先日、クラスの担任の先生がプリプリとお怒りにながら、

「この1年でクラス全員に逆上がりができるようになってもらう」

とか、体育のなんかのタイムが遅かったことに対して「恥ずかしい」なる発言とともにクラス全員を怒ったとのことで(本当はもうちょっと痛めの言葉だったと今日知人から聞かされた)、何やら早くも波乱の予感がする新年度です。

恥ずかしいゆーなや。

しかし何だろう、この「できないと恥ずかしい」って、「それを言われると体育嫌いな子供が出来上がるだけで、誰も得しない言葉」なのよね。

だって私まんまとその手の発言で運動も根性論も大嫌いな大人になっちゃったもの。

目次

運動苦手なお子様だった私

私は田舎育ちでありながら、運動が苦手なお子様でした。

でも苦手ってだけで放課後はローラスケート練習して治りきっていないカサブタの上に何重もの怪我を重ねてみたり、人の家の屋根に登ってすごい怒られたり、木登りしたりと小学生にして生き急いで(なんか違う)いたけれど、体育そのものはまだ嫌いじゃなかった。

ドッジボールとか避けるのだけは超上手でしたよ。あの時は輝いていたぜ……。

思い出すのは確か小学校3年か4年、今の娘さんと同じくらいの時の担任ですよ。

この担任がとにかく根性論大好きな人で。

方法論は教えてくれないけれど、何故できないのかと責める。

できないわけがない、できないのは恥ずかしいと主張。

そんなタイプの担任に当たってしまったのが運のつき。

翌年には時間割の中の「体育」の文字を見ただけで嫌な顔をする小学生に変貌を遂げ、ドッジボールすら嫌いになり。

大人になってはラーメン屋修行モノのドキュメンタリーを見ては、

「根性根性言ってねぇで技術教えてやれよ」

とか根性論が視界に入っただけで悪態をつく大人になってしまいました。

ほら立派な体育嫌いが完成しちゃった。ついでに根性論も大嫌いな大人が完成しちゃった。誰も得してない。

娘の担任がそうでないといいなぁ。

いや別にね、娘の担任が、

「1年でクラス全員逆上がりできるようにする」

という目標を掲げるのは構わぬのですよ。私も宝くじ当たるの目標にしてますから(同列にしてるのおかしい)。

でもそれなら、是非根性云々じゃなくて、きちんとできるように「方法」を教えてくれる先生なら良いなぁ、とちょっと思っております。

そこでもしもほらあれよ、

「逆上がりできないなんて恥ずかしい!」

なんて発言が出てしまったら、嫌だなぁ。そもそも本当に恥ずかしいかなぁ。実は私も逆上がりできないんだけど、それじゃあ私も恥ずかしいのかなー。

そもそも走るのが遅いのは恥ずかしいかなぁ。なんか違う気がするんだよなぁ、ってずっとモヤっているのです。

まあ娘には、

「体育できなくても爆発しないから、適度にやる気のあるフリだけして、何か注意されたら『次頑張ります』って言っときなさい」

と大人の処世術を叩き込んでおきました。

でもできることなら「恥ずかしい」はやめてほしいなぁ。なんか嫌なんだよなぁー。

できないことが「恥ずかしい」っていうなら、その恥ずかしいことをみんなの前で練習するっておかしいよねってならない? だから恥ずかしいって表現は違うと思うんだよなぁ。

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